[ 第87話 ]


「すんません、ここお願いします!」
 降りて、大地を踏みしめた次の瞬間には駆け出していた。隣にいた一課の男はきょとんとしつつ、思い出したかのようにわかったと返答した。
「芹沢センセ?」
 園内に入ると、真っ暗闇。先ほどまでざわざわと騒がしかったのに、まるで何事もなかったかのように静まり返っている。
「かえちゃん?」
 不安を抑えきれずに、矢部は小さく闇の向こうに声をかけた。
「井村ー?」
 園内には井村を含めた数人もいるはずなのに、名前を読んでも何も返ってこない…
 ガシャーンッ!!
「ひっ?!」
 一歩一歩、外からの明かりだけを頼りに廊下を進んでいると、どこかから物音が響いた。
「な…?」
 恐る恐る、その物音のした方に歩み寄る。と、一室のドアがほんの少しだけ開いているのがわかった。暗闇の中でどうしてわかったのかといえば、外にいた頃は厚い雲に覆われ隠れていた月が姿を現したようで、ひっそりと、だが力強いとも言える月明かりがカーテンの開いた窓から園内に入り込んだから。
 ドアの隙間から、その明かりが漏れていた…

 油断していた。

 突然のトラックによる追撃、誰かの手による故意の停電、叫び声…気を付けないといけないと思っていたのに。あんなにも、抜沢から教えられていたのに。
 なのに…月明かりの優しげな灯火に、ふと気が緩んだ。それは、そのドアをそっと押し開けた時の事。
 ドンッ…ドアを開けて室内に入ろうと、足を踏み込んだ時。突然矢部は横からきた誰かに押されてバランスを崩し、そのまま床に転がった。
「うぁっ?!」
 何事かと視線を移した矢部の目に、それは映った。
「つっ…」
 月明かりに照らされた、衝撃の一瞬。鉄パイプのようなものが振り落とされていた、矢部を押し倒した、抜沢の身に。
「抜沢先輩?!」
「来るな矢部!」
 駆け寄ろうとしたが、怒鳴られ動けなくなる。そうしている間に、再び振り落とされる棒。
「ぐっ…」
「せんっ」
「つけられやがって馬鹿野郎!罠に決まってんだろーがっ、行け!!」
 片腕で襲い来る棒を受け止めようとしながら、抜沢は怒鳴った。
「え…」
「よく見ろ!一人じゃない、蔵内がいないだろう!」
 月明かりは、抜沢を襲う一人一人の顔を照らしている…そして抜沢の、目。刺すような目が、矢部に諭す。
 蔵内がいないだろう、ここに。じゃぁ、どこにいるか…
「行け!手遅れになったらお前、死んで詫びろよ!」
 冗談にもならないような抜沢の怒鳴り声に、矢部は小さく頷き踵を返し、駆け出した。廊下には窓がなく月明かりは差し込まない、暗闇のままだが、矢部の目はとうに慣れた。
 向かう先は、ただ一つ。
「わかってるな!矢部!!」
 後ろで金属のぶつかり合う音と、痛々しい音と、抜沢の声が聞こえた。だが立ち止まりたい衝動を抑えて、ひた走る。
「…んで、なんで、なんでっ!!」
 自分自身を殴りつけたいような、そんな気分だ。なぜ気付かなかったんだろう、どうして気付けなかったのだろう。一番最初に気付くべきではなかったか?
 大事な、一番大事な事を見逃していた。
「はぁっ、はぁっ…」
 タッタッタ…タッ、と静かに足を止めて矢部は、肩で大きく息をつきながら頭を垂れて呼吸を整えようと何度か深呼吸をした。視線に入った手のひらの、指先までが震えている。
「震えんな、震えんな…」
 自覚した途端、震えは大きくなり余計に不安を煽った。気付かなかったわけではない…ただ、有り得ないと思っていた。それだけは有り得ないと。
「大、丈夫や…」
 たどり着いた先で、ドアノブに触れて息を呑んだ。ドアの向こうに、いる事が何故かわかった。
 キィィ…静かに開けようと、無意識的に力が入ったせいか予想しなかった音が響いて思わずドアノブから手を離し身を引く。
「わっ?!」
 キラリ。何かが目の前を掠めていった。
「え?」
「矢部さん伏せて!」
 それを確認しようとした矢先に、部屋の奥からの声。芹沢の。慌てて伏せるとヒュ…と何かが頭上を掠めた。
「な…」
「ちっ、二度も避けられたか」
 耳に覚えのある声…
「くらっ、蔵内!」
 顔を上げるとそこには蔵内、左手には刃渡り10センチほどのナイフ。
「矢部さんか…ここまで来るのはアンタか抜沢の旦那だろうと思ってたよ、どちらにせよ同じだがな」
 くるん…と、持っているナイフを手のひらの上で器用に回して持ち方を変えると、蔵内は僅かに首を動かして部屋の奥を示した。
「あ、芹沢セン…かえちゃんっ?!」
 部屋の奥には芹沢が、矢部の知らない男に押さえつけられていた。楓は床の上に、力なく横たわっている。
「その子は眠っているだけさ、薬を嗅がせたからな」
「なっ…蔵内、てめっ…」
「小さな子は暴れると邪魔だからな、抑えようと力を加えればすぐに壊れてしまいそうで…流石に俺も、幼い子供の痛々しい悲鳴を聞くのは好きじゃない」
 殺しておきながら…そんな小さな楓の、両親をすぐ近くで殺しておきながら飄々と言ってのける蔵内に対して、矢部の中に沸々と憎しみが沸いてくる。
「おま…え、は、許さへんで…」
 握り締める拳は怒りで震えている、先ほどまでの恐怖とは違う。カチカチと歯が、鳴る。
「許してもらおうなんざ思っちゃいないさ」
「だっ…」
「矢部さんっ!」
 何かを怒鳴りつけようとした矢部を、押さえつけられている芹沢が止めた。
「芹…沢センセ…」
「矢部さん、挑発にのってどうするの!」
 その目はやはり、抜沢に似ている…きっと抜沢も、今の矢部を見ればそう言うだろう。
「挑発…なんか、蔵内?」
「俺に聞くのかい?やっぱどこか変わってんなぁ、アンタは」
 くるん、くるん。何度かナイフを回しながら、ふっと蔵内の表情は翳った。
「蔵内お前、何を考えとるんや…お前、お前律子さんや土原の事考えた事あるんか?」
 ヒュン…一瞬、矢部の身が固まった。顔の真横をナイフが掠めていき、後ろの壁にトンという小気味良い音を立てて刺さった。
「考えた事か…」
 口元に浮かべられた笑みが、どこか自嘲的に見える。
「蔵…」
「そういや似ているなぁ…その小さいお嬢さんは、律ちゃんに」
 そう呟いて、唐突に蔵内の体が崩れ落ちた。
「蔵内?!」
 ナイフを手放した蔵内は膝を床に付けて、胸元を自ら押さえつけ、息苦しそうな呼吸をしている。
「近づくなっ」
 ギラリと、燃える様な目が矢部の足をそれ以上蔵内に近づけさせない。
「なっ…?」
「近…づくな」
「蔵内お前…もしかしてどっか、悪いんか?」
「関係ないだろう」
「そやけど…」
 肩で息をしながら蔵内は、じっと矢部を見ていた。数秒の事…ふっとその視線が、横たわる楓の方に。
「全てを失ったくせに、強い子供だなぁ…」
 ぼそり、誰に言うでもなく。
「失ったて…お前が奪ったんやないか、何を今更」
「SWはもう終わりさ、そうしたら俺がしてきた事は何の意味もなかったという事になる」
 楓を見たままで蔵内は続ける。
「だがアレが俺の役目、末はブタ箱行きで当然だと思ってる」
 まるで、全てを振り返るかのように遠い目で。
「俺は…」
 矢部は、蔵内の異変に眉を顰めた。蔵内は楓を始末しにきたのだと思っていたのに…椿原夫妻殺害の、目撃者であろう楓を狙っているのだと気付いたばかりだというのに。

 意図が読めない…

「蔵内さん、そろそろ行きませんか?」
 おもむろに、芹沢を押さえつけていた男が口を開いた。
「海老名…そうだな、そろそろ終わらせて、行くか」


 つづく


あとちょっと、あとちょっとで過去偏が終わります!
だー、時間空けすぎだ…(汗)
どうだろう、大丈夫だろうか、謎だ。

2005年12月19日


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