[ 第90話 ]


「楓ちゃん、珈琲と紅茶とオレンジジュース、何がいい?」
 しばらくの間楓は、何度も芹沢と石原の顔を見比べてはパクパクと何かを言いたげに口を開いていた。が、見かねた芹沢が声をかける。
「あっ、お、オレンジジュース、で…」
「そう?待ってて、今持ってくるから」
「あ、はい、はい」
 はっと我に返った楓を見て、石原がこらえきれずにクククッと笑みをこぼした。
「え?」
「楓ちゃん、面白いのぉ」
 クックと、肩を揺らしながら笑う。
「え、な、何で…ですか?」
「何じゃろねぇ、見てて面白いわ。今頭ん中で、いっぱい聞きたい事とか思い出した事とかぐるぐる回っとるじゃろ?」
 その言葉に、まさにそうだと言わんばかりに楓はコクコクとうなずいた。
「何でわかるんですか?」
「じゃから、見てたらよぉわかるわ」
 徐に伸ばした手を、楓の頭にポンと置き遣り、くしゃくしゃとそのまま髪をなでて尚も笑う。
「クルクル表情変わるとことか、変わらんのぉ」
「いっ、石原さんは、変わりましたよね…」
「そうじゃのぉ、ワシはよぉ変わった言われるわ。由美センセくらいじゃ、一目ですぐにワシだってわかったの」
「そう…なんですか?」
「そうなんじゃ」
 ニコニコと笑みを変わらず浮かべる石原に、きょとんとしたままでいたが、その時芹沢が戻ってきた。
「何の話をしていたの?楽しそうね」
 白いプラスチックのトレーに、ガラスのコップが三つと厚い台紙の本。オレンジ色の液体がゆらりと揺れている。
「なんもじゃぁ」
「タツくん、オレンジジュースで良かったかしら?」
「何でもえーよぉ、いただきまーす」
「あ、い、いただきます」
 石原が一つのグラスを手に取ると、楓も慌てて一つを手に取り、二人は並んだ状態でごくごくと中身を飲みだした。
「まぁっ、そうしてると、あの頃みたいよ」
 クスクスと、芹沢がそれを見て笑う。
「あの頃?」
「楓ちゃんがここに居た頃よ。あの頃も、タツくんがコップを取るとそうやって慌てて楓ちゃんもコップを取って、二人で並んで飲んでたの」
 そうだっけ?と、覚えにない事を言われて思わず首をかしげると、今度は石原が笑った。
「そーゆう仕草とかも、ほんに変わらんのぉ」
「本当にね…あ、そうだ私、アルバムも持ってきたのよ」
 ふっと、芹沢が同じトレーに乗せてきた本を楓に渡して寄越してきた。
「アルバム?」
 渡されたそれを開くと、一番に飛び込んできたのが真っ黒い髪の、無邪気に笑う少年。
「あ」
「あ?あ、それワシじゃのぉ」
 こうして見比べてみると、面影は確かにある。なんといってもその、無邪気な笑顔は変わっていないようだと楓はちらちらとアルバムと石原の顔を見比べて、唐突にクスッと笑った。
「懐かしいでしょう、もう少し後ろの方に行くと楓ちゃんの写真もあるわよ」
「本当ですか?うわー」
 嬉しそうに楓はページをめくる。幼い頃の写真を楓は、あまり持っていなかった。唯一祖母から持たされていたのが、家族写真とも言えるあの、位牌と共に置かれていたもの。
「あ、コレですか?」
 少しめくって、楓は自分自身を見つけて思わず声を上げる。家族写真のアレは身だしなみがきちんと整えられていたが、今見つけた幼い楓は栗色の髪の毛が一部大きく跳ねていて、少し怯えたような表情をこちらに向けていた。
「そうよ、コレはお昼寝の後に撮ったやつじゃないかしら…」
「髪が凄い…」
「豪快にはねとるの」
 三人が一様に一枚の写真を見つめて、それぞれに感想を述べる。不思議な光景だが、楓はなんだか嬉しいような、寂しいようなものを感じていた。
 しばらくそうして、写真を見る時間が続いた。
「あれ?」
 不意に、ある一枚でぴたりと手が止まる。楓はそのまま、顔を上げると図書館の、窓際に延ばされて貼られた一枚を捕らえた。
「どうしたの?」
「これ…あの写真と同じですよね?」
 すっと、指差すとおもむろに石原が立ち上がり、貼られていたそれを静かに壁から外して戻ってきた。
「タツくん…」
「おっきい方がやっぱ皆の顔、よぉ見えるのぉ」
 アルバムの上にそれを置き、元の席に腰を下ろす。
「あ、由美先生?」
 ぱっと、楓は見つけた人物に指差して芹沢を見た。
「そうよ、そしてこっちに楓ちゃん」
「あ、ワシもここにおるよ」
 ぽんぽんぽんと、三本の人差し指が写真の上を交差する。と、楓の指が別の誰かを捉えた。
「あら、矢部さんね。楓ちゃんにぴったり寄り添って」
 その言葉に、楓の胸がぎゅっと締め付けられる。幼い楓の肩に手をやり、ほら…とカメラの存在を教えるように微笑んでいる、青年。
「ホンマじゃ、兄ぃじゃの」
 泣きたくなるほど懐かしい、優しい表情を浮かべる青年から慌てて目を逸らし、楓は指を滑らせた。
「こ、この人は?」
 息を呑むような音が、響いた。ぎくりとしたような動きをした指を追いながら顔を上げると、芹沢が困ったような顔を浮かべて、小さく笑う。
「覚えてない?」
「え…と?」
「抜沢さんじゃ、この写真ずっとここに貼ってあった?ワシ、初めて見たかもしれんわ」
 石原がずぃっと顔を写真に近づけて、目を細めながら言うと芹沢は、そうよと言いながら微笑んだ。
「ぬきさわ、さん?」
「ワシ、よー覚えとるよ、てかワシの憧れじゃぁ」
 頭を起こしながら、なぜか石原は楓にそう言っていた。
「憧れ?石原さんの憧れってケンおにーちゃんじゃないの?」
 今までの石原の矢部に対しての行動から、楓はずっとそう思っていたので思わず聞いてしまった。
「ん?兄ぃも憧れじゃよ。そんじゃけど、こん人もワシの憧れじゃ」
 にっこにっこと、絶えず向けられる笑顔。なんとなく楓は、再び写真に目を落とした。その人物は三十代後半くらいで、少しよれたワイシャツと冷めたような、けれど鋭いまなざしが印象的だ。
 誰かに似てる?
「あぁ、目が兄ぃにそっくりじゃの」
「え?」
「ほら、抜沢さん。目が、捜査しとる時の兄ぃにそっくりじゃ」
「そうね…私もそう思うわ」
 芹沢も石原に賛同しながら、硬かった表情を僅かに緩ませていた。
「あ、じゃあこの人ってケンおにーちゃんの…」
 言われると、確かに矢部に似ている。いや、矢部が似ているのかもしれない。
「抜沢…この人と、矢部さんは組んで仕事をしていたのよ。楓ちゃんの…お父さんとお母さんの事件」
「え?あっ…あ!あのおじさん…だ」
 幼い頃の記憶は酷く曖昧だ。言われて楓は、はっとする。そうだ、確かにこの人には見覚えがある。
「覚えとるんか?」
「覚えてるというか、思い出したというか…」
「きっと喜ぶわね」
 喜ぶ…?
「この人、今もケンおにーちゃんと?」
 なんともなしに石原に目を向けて口を開いたが、石原は「あー」と言葉を濁すばかり。ん?と首をかしげていると、芹沢がおもむろに手を伸ばして楓の髪の毛に、触れた。
「芹沢先生?」
 するりと、指に絡ませた髪を解いて微笑むと、視線を落として写真の、抜沢を穏やかに見ている。
「きっと、思い出すかもしれないから、それまで秘密」
「ふぇ?」
「あー、それがえーのぉ」
 内緒、と言われると余計気になるものの、二人のこの雰囲気からするときっと楓自身が思い出すまでは口を割りはしないだろう。むぅ…と少し拗ねながら、楓は改めて写真を見た。
「思い出せるもん」
 じっと。そこでふと、気付く。冷めたまなざしのその先に居る人物…
「あ、この人、芹沢先生を見てるのね」
「見てないわよ」
「えー、見てるでしょ?」
 楓が見る限り、その写真の中の抜沢の視線の先には芹沢の姿があった。だが芹沢は否定する。なぜかわからずに、楓は石原に賛同を求めた。
「んー?あぁ、由美センセを見とるみたいじゃよ?」
「見てないってば、カメラを向けられたのに気付いて顔を逸らしただけでしょ」
 クスクスと笑いながら、芹沢の横顔は少し寂しげだと楓は感じた。


 つづく


連載形式だから起こるこの脈絡のない会話の一節。
なんだか久しぶりすぎて楓が妙。

2006年1月19日



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