[ 第92話 ]


 まだ胸が、ドキドキしているような気がする。
「ふぁ…」
 コテン、と、自室の小さなソファの上に横たわり、楓は天井の照明の、豆電球を見つめて息をつく。
「むぅ…」
 どうしてあんな事を、したのだろうか。楓には到底理解できない。石原の言葉を思い出して、ふっと顔を赤らめた。
「…ケンおにーちゃん、安心してくれるかな?」
 付き合ってみない?と、石原は広島訛りで言って笑った。正直に言えば、多分嫌いじゃない。矢部を彷彿させる優しさや表情は、好きだ。
 でも…

「まぁ、楓ちゃんが良ければの話じゃけどねー」
 無邪気に笑う石原に対して、楓は一瞬呆け、それから自分でも思いがけない行動をとっていた。
「よっ、よろしくお願いしますっ!」
 がばっと頭を下げて…

 じゃぁ…と、照れくさそうにはにかんだ横顔を思い出す。楓の頭に、ぽんっと手を置いてから名残惜しそうに歩いていく後姿とか。
「何であんな事言っちゃったんだろう…」
 深いため息と共にこぼれる言葉。打算的な気持ちがどこかにあったから、かもしれない。それは、多分、矢部の…
「ケンおにーちゃん…」
 身じろいで、ソファの上のクッションに顔をうずめ、呟く。石原は、矢部の部下だった…多分、矢部は石原を信頼していたのだろう。菊池の時とは違う態度に、そう思った。
 そう、だから。
「…ごめんなさい、石原さん」
 矢部への手紙に、好きな人が出来たと書いた。だから、好きな人が必要だった…矢部が、自分を心配する事がないような、信用できる人物が。
「ごめんなさいっ…」
 嫌いじゃない、多分好き。だから、もっと好きになるから、嘘じゃないから…クッションが、涙で濡れる。

 そんな楓をよそに、石原は警視庁の公安部公安第五課、特別資料室の隣の喫煙所で、まだ火をつけていない煙草を片手にぼんやりとカレンダーを眺めていた。
「…重症じゃのぉ」
 おもむろに、デスクに転がっていた赤いマジックを手に取り今日の日付を丸く囲った。
「おじゃましまー…うわっ?!」
「ん?」
 と、そこに珍客。煙草を吸わない菊池が、コーヒーカップを片手に入ってきたのだ。喫煙所にはコーヒーメーカーが置いてあるから、おかしな事ではないのだが。
「おぉ、お疲れ様じゃぁ」
「お、お疲れ様です…」
 実のところ、菊池はあまり石原とは親しくなかった。けれど相手はエース級、そして矢部の、以前の部下だったという話から、そこそこの信頼は置いているようだ。
「あれ?兄ぃは?」
「あ、矢部さんは…ちょっと、実は熱出しちゃって、今日は僕一人なんです。これ、課長には内緒にお願いします」
「兄ぃが熱?もしかして昨夜から?」
「えっと…はい」
 石原はふと、昨夜の電話を思い出す。そういえば電話に出た菊池は少し慌てていた?
「そんじゃー昨夜、電話して悪かったのぉ」
「えっ、いえっ、そんな事はないです。電話くださって助かりました…矢部さん、椿原さんがいなくなったって、無茶して雨の中探し回ってたから」
 はー…と、石原は煙草に火をつけるのを忘れたまま息をついた。
「そら大変じゃったのー…」
「あ、椿原さん、石原先輩のところにって話でしたけど、今も?」
「いんやぁ、さっき別れたとこじゃぁ、野暮用に付き合ーてもろての」
「野暮用?」
「野暮用じゃぁ」
 訝しがる菊池に、いつもの無邪気な笑みを向けて石原は繰り返す。
「ほんの、野暮用じゃ」
「はぁ…」
 菊池からしてみれば、矢部と同じくらい不可解な人間だと思う…風貌、口調、そして性格。けれど能力が認められて、今現在は公安のエース級。同じくエース級の同僚からは、なかなかの人材だという話を小耳に挟んだ事がある。
 あの矢部の下にいただけの事はある、と。
「あぁ、そんじゃー今夜は兄ぃんとこ、行くんかのう?」
 くるり、と、指に挟んでいた火のついていない煙草を器用に一回転させてから、おもむろに石原が口を開いた。
「え?」
「ほら、あれじゃろ?報告書…」
 そっと小声で。
「あ、あっ、はい、一応は」
「もう、行く?」
「いえ、まだ書き上げてないので…」
「ほーか、そんじゃぁ、渡して欲しいもんがあるんじゃけど…えーかのう?」
 石原はぱっと、くるくる回していた煙草を箱に戻すと菊池の肩を二回叩き、にこりと笑んだ。
「え…?」
「すぐ書くけー、ちょい待っといてのー」
 ぱたぱた。駆け足気味に課の自分のデスクの席に着き、引き出しから数枚の紙を取り出していた。菊池も、カップに珈琲を淹れると同じく自分のデスクへと着いた。
 ちらりと、見遣る。目に入ったそれは、多分始末書か何かの類だろう。その様式の用紙に、石原は何かを一生懸命書いていた。
「…なんだろう?」
 うーん…と、うなるものの菊池にもやる事はある。淹れたばかりの珈琲に口をつけて、今日の報告書の続きを書き始めた。

 十数分後…
「…で、あにーは心配、せんでもだいじょーぶ、じゃ、と」
 最後の一文だろうか?報告書を書き上げて、あとは矢部のサインを残すのみという菊池は、ぼんやりと石原の背中を眺めていた。
 凄く一生懸命に、考えて書いているようだった。
「よしっ、これでえーね」
 書き上げたのか、唐突に席を立つとくるりと振り返り、三つ折にしたそれを菊池に向かって差し出してきた。
「これじゃ、頼むのー」
「あ、はい…封筒とかに入れなくても?」
「あぁ、えーよ別に。だって見んじゃろ?」
「え?」
「お前に渡すんじゃー、他のヤツが見る事はないし…見る言うても、お前だけじゃし」
「み、見ませんよ、そんな、他人のプライバシー…」
「じゃから、えーんじゃ。頼んだで」
「はぁ」
 一瞬、中身が気になった。が、今ので釘を打たれたといってもいいだろう。菊池はいそいそとそれを鞄にしまうと、同じく報告書もしまいこみ、一礼して部屋をそそくさと逃げるように出て行った。
「…大丈夫かのぉ?」
 くるん。と、ボールペンを先ほどの煙草と同じように、指の上でまわして石原は、小さく呟く。何に対しての一言だろうか…
 対して菊池は、矢部のマンションに向かう道すがら、何度も手紙を仕舞った鞄に目を遣った。中身が気になって仕方がない。
「うーん、なんて書いてあるんだろう」
 赤信号で停車する度に、そっと鞄へと手を伸ばす。が、躊躇している間に信号は赤から青へ。それの繰り返しで、なんとか盗み見する事無く車はマンションへとたどり着くのだった。


 つづく


今回は短めで。
テンポよく書き進めるにはこういう事も大事なんです、ええ。
…はい、ごめんなさい(笑)
色々楽しい事が待っているので頑張りましょうと自分に言い聞かせているところです。
予告:科学技術大学の学祭!上田と奈緒子は?楓と矢部は?
どうなる?!アイフル〜…ごめんなさい(笑)

2006年3月13日(自分の誕生日くらい更新しようぜ!)

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