[ 第95話 ]


「うわっ、おいしい!」
 奈緒子は歓喜の声を上げた。コーティングされたチョコレートがかりっとしていて、ふんわりした生地が香ばしくて。
「でしょー」
 続いて楓も、満面に笑みを浮かべて小さなドーナツを口に放り込んだ。
「なんかサクサクしてるし」
 美味しい!と連呼しながら、ポイポイ口に運ぶ。それを見て楓は笑った。お皿の中身がなくなった頃、少し冷めた珈琲を口に含みながら奈緒子はぼんやりと、同じように白いカップに口をつける楓を見つめていた。
「あ」
 唐突に、楓が声をあげる。
「楓さん?」
「奈緒子さん、今日、何か私に用があったんじゃないの?」
 言われてはっとする。そうだった…
「あ、あー、そうでした」
 照れくさそうに誤魔化すような笑いを口元に浮かべ、カップをテーブルに置いて小さく咳き込み、奈緒子は続ける。
「えーっと…」
「なぁに?」
「週末、空いてますか?」
「週末?」
「金、土、日」
「あぁ、土日が空いてるけど…?」
 奈緒子は少し、眉を潜めた。矢部がいつ来られるのか、この時点での奈緒子にはわからなかったからだ。でもそれならと、考えが巡る。
「さっき上田…さんが教えてくれたんですけど、週末に、カギ大で学校祭があるんですって」
「カギ大?」
「そう、なんか面白いらしいからって…楓さん、一緒に行きませんか?」
「行きたいなぁ、行く!」
 無邪気に笑う楓を見て、僅かだが心が痛む。もしここで今、矢部も来ると伝えたらこの笑顔が消えてしまうような気がするのだ。
「じゃぁ行きましょうか」
「あ、ねえ奈緒子さん…」
「何ですか?」
「もう一人、誘いたい人がいるんだけど…いいかな?」
「誘いたい人?」
「うん、石原さん…なんだけど」
「え…」
 ギクリとする。矢部と楓の為に誘っているのだけれど、ここに石原が来るとなると…ある種の修羅場なのではないだろうかと悩む。かと言って、NOと言うのは不自然だ。
「えーっと…まぁ、いいですよ、全然。ええ、全然」
 硬い笑顔を浮かべるのが精一杯だ。
「本当?良かったー。この間お世話になったから、お礼がしたかったの」
「お世話…」
「あのねぇ、私小さい頃…両親が亡くなった頃なんだけど、養護育児施設にいたの。石原さんもそこには縁があって、それで連れてってくれたの。懐かしい人に会えて、嬉しかったから」
「へぇ…そうだったんですか」
 楓は、笑っている。まるで何もなかったかのように。だから奈緒子は、もしかしたら自分は余計な事をしているんじゃないだろうかと思ってしまう。
 それでも、楓の幸せの場所は違うんじゃないかとも思う。彼の隣にいた頃の笑顔が、何よりも綺麗だったから。
「あ、私そろそろ帰らないと」
「え?あ、いけない。私もそろそろ休憩時間終わりだ」
「仕事中にごめんなさい…あの、近くなったらまた連絡しますね」
「ううん、ありがとう」
 帰り際に、楓が奈緒子に小さな紙袋を持たせた。
「割引になってるヤツなんだけど…おうちで食べてね」
 奈緒子があんまり美味しい美味しいと喜んだからだろう、お土産、と小さく笑って言った。
「あー、ありがとうございます」
 そんな些細な気配りが、羨ましいとさえ感じる。奈緒子は紙袋の口をぎゅっと握り締めて、店を背に歩き出した。
「石原さん、来るのか…」
 どうなる事やら、奈緒子は大きく息をついた。

『日曜日に来るってよ』
 池田荘に戻ると、リンリンやかましくなり続けていたらしい電話を引っつかんだ。ハルが痛々しい目つきで帰宅した奈緒子を見ていたから。
「は?」
 上田の声。
『矢部さんだよ、金曜と土曜はどうしても抜けられない捜査があるからって』
「あぁ、そうなんですか。良かった、楓さんは土日が大丈夫らしいんで、土曜は普通に遊んで問題は日曜日ですね」
『なぁ、YOU…』
「なんですか?」
 受話器の向こうで上田は、張り切る奈緒子とは逆に辛そうな声を上げた。
『本当にやるのか?』
「駄目ですか?」
『いや…駄目とかそういうんじゃなくてだな、その、やっぱりお節介なんじゃないか?』
「そんなの、わかってますよ。でもお節介なら、最後まで突き通さないと意味がないんです。どんな結果になろうとも、最後まで」
 唇をかみながら、上田の言わんとしている事もよくわかっていた。
『…わかったよ、YOUのしたいようにしろ』
「言われなくてもします。あぁそうだ、日曜日なんですけど、上田さんに頼みが」
『それがモノを頼む態度かよ』
「いーからいーから」
 そのまま奈緒子は、土日には石原も来る事を上田に伝えた。
『YOU…それで俺にどうしろと…』
「楓さんと矢部を二人きりにしたいから、その間引き止めてろ」
『無茶無茶言うな』
「仕方ないじゃないですか、楓さんが、石原さんも一緒にって言うんだから…断れるわけないじゃないですか」
『わかったよ、声を荒げるな…その代わり、交換条件だ』
 イラつく奈緒子を嗜めながら、上田は呆れたように続けた。
「な、何ですか?また変な依頼とかじゃないでしょうね…」
『石原さんの事はわかった。矢部さんと椿原さんとは離しておく。だから日曜の夜!YOUは俺の為に時間を空けとけよ』
「は?意味がわからないんですけど…」
『いいからっ、えーっと…夜9時だ、絶対空けておけよ』
「はぁ…わかりましたけど」
 受話器の向こうで、にわかに上田の表情が緩んだ。ほっとしたように息をついて、じゃぁ、と電話が切れる。奈緒子は僅かに、切れた受話器を見つめて、静かに手を下ろした。
「…なんだアイツ、変なの」
 受話器を置くと、今の今まで紙袋を握り締めたままだった事を思い出す。
「あ、ドーナツ」
 紙袋を開くと、先ほど食べたミニドーナツの、色々な種類が入っていた。
「日曜日、かぁ…」
 上田が何を言おうとしているのか、何となくわかった。最近の奈緒子は、何かあれば楓や矢部の心配ばかり。業を煮やしたという事だろうか。
「と、とりあえず日曜日の事を考えよう。上田のことはあとだ」
 バサァッと畳の上に寝転ぶと、紙袋から一つを取り出して口の中に放り込んだ。


 つづく


学校祭編が次から本編かなぁ?
ウエヤマもにおわせつつ(笑)

2006年4月9日

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