[ 第99話 ]


「楓ちゃん、何食べたいー?」
 ぼんやり廊下を歩いていると、石原が下から覗き込むように声をかけてきた。
「え?あ、えっと…」
「やきそばとか、えーねぇ、ウマそうなにおいじゃ」
「あ、うん」
 にこにこ。笑顔のままで石原は、やきそばの看板が掲げられている教室へと入っていった。猫耳&尻尾を付けた楓は、とりあえずドアの横に寄りかかって石原を待つ。
「ケンおにーちゃん、やっぱり怒ってるのかな…」
 先ほどまで、つい先ほどまではあんなに、今まで通り笑っていたのに。石原が楓の隣に立った途端、何かを思い出したかのようにいなくなってしまった。
「今まで通りって、駄目かな、やっぱり…」
 はー…と、深いため息。と、その時。
「あっれぇ、猫耳、かっわいーねぇ」
「え?」
 突然、見知らぬ数人の男が楓を囲んでいた。
「え?あの、えっと…?」
 わけがわからず首をかしげると、一人が満面の笑みで近づく。
「仮装?でも猫耳、かわいいねぇ、そそるわー」
 無遠慮に楓の頭上の猫耳に触れる。
「尻尾もついてるぜ」
 別の一人が腰からぶら下がっていた尻尾を掴んだ。
「あ、ちょっ、借り物なのでやめてください」
「いーじゃない、似合ってるって言ってんだから」
 ぐいっと、別の誰かが腕を掴む。
「え?」
「一人なんでしょ?俺らと一緒に遊ぼうよ」
「なっ…」
 あまりの無遠慮さに、言葉が出てこない。
「ほら、こっちにさぁ…」
 ガタンッ。
「え?」
 突然、楓の真横の方で物音。それも、勢いに任せてドアを蹴りつけた時のような…
「あ、石原さん…」
 ような、ではなく、実際にそうだった。教室のドアをあけて、すぐにそのまま蹴りつけたらしい。楓を囲む数人に冷たい視線を投げかけて、それからふっと楓に笑みを向けた。
「楓ちゃん、待たせてすまんのー」
 ぺたん、ぺたん。革靴が妙な音を立てる。
「あー…アンタの彼女?悪いけどさー、ちょっと貸してよ」
 その笑顔に石原を甘く見たのか、一人が楓と石原の間に入り込んで言った。
「ん?」
 笑顔のままで、石原は男を見る。
「石原さ…」
 どきんと、楓の胸がなった。
「ワシの連れじゃけー、貸すわけないじゃろ」
 ふっと、無邪気な笑みが消えた。ぎらりと、研ぎ澄まされた睨み。そして唐突に、道を阻む男の足を蹴りつけた。
「うわっ?!いってぁ…」
 両手に焼きそばのパックを抱えて持っていたから、空いているのは足しかないんじゃと、ふっと無邪気な笑顔に戻ると一歩、踏み出した。
「邪魔じゃけ、どけぇ阿呆」
 にっこり一言。唖然とする彼らを尻目に、楓に目配せして先に進む。
「い、石原さん」
「すまんのぉ、一人で待たせて」
「いえっ、そうじゃなくて…」
「ああ、びっくりさせてしもたかのぉ?」
 あははと、照れ笑い。
「え、ええ、はい、びっくりしましたけど…」
「わしゃぁ昔は、悪さもしたけぇ」
 ぱちん、小さくウインクして見せると、楓も笑った。
「石原さんって、うん、そんな感じですね」
「あいつら、びびっちょったじゃろ。ワシの睨みは兄ィ直伝じゃからの」
 それにしても、と続ける。
「ドア蹴るんはまずかったのー、足が痛い」
「大丈夫ですか?」
「さっさと兄ィ探して、どっか座りたいのー」
 余程痛かったのか、眉をしかめる石原を見て楓は、両手に抱えるパックの半分を持った。
「じゃぁ、手分けして探しましょうか」
「え?」
「奈緒子さんたちも探して…」
「ああ、そじゃね」
 でも、と石原は続けた。
「楓ちゃん、さっきみたいに阿呆共にちょっかい出されるかもしれんのぉ、かわえーから」
「大丈夫ですよ、さっきはぼんやりしてたから…隙があったの。もう大丈夫、ね」
 心のどこかで、矢部に会いたいと思っていたからかもしれない。そして、石原と二人でいる事に何となく、居心地の良さを感じている自分に戸惑っていたから。
「そぉ?そんじゃけー…わしはあっちの方探すわ。楓ちゃん、上の階ね」
「うん、じゃ、見つけたらメールしますね」
 たんっ、と足を鳴らして階段を上る背中を見送ってから石原は、あ、と声を上げた。
「メールかぁ、忘れちょった。兄ィもメールで呼び出せたわー…」
 けれどもう、楓の姿は見えない。
「ま、えーか」
 邪魔をしたい訳ではないし、と小さく続けながら、石原も廊下を歩み始めた。
 たったったっ…必要もないのに駆け足で、楓は何となく上の階へと進む。石原が言ったのはこのすぐ上の階、という意味なのは分かっていたが。
 何となく、上に行きたかった。
「はあっ、はあっ、はあっ…階段一気に上るの、久しぶり」
 肩で大きく息をしながら、楓が掴んだのは屋上の扉。弾みでキィッと、静かにノブが回り戸が開く。
「うわっ?!」
 鍵がかかっているだろうと、思っていた。開く訳ないと、心のどこかで思っていただけに驚く。
「開いちゃったー…」
 そっと覗くと、誰もいないようで。何となく、そこから見える空を独り占めできるような、そんな気分でそっと歩き出す。

 誰か来たな…目を閉じて寝転がったままの状態で、それはすぐに分かった。扉の開く音、静かな足音。聞き取れるかどうかの小さな声。
「まー、えーわ」
 屋上に続くドアから、矢部のいる場所は死角になっていた。けれど、矢部のいる場所からはある程度見渡せる。薄く瞼を開いてぼんやりと、矢部は誰が来たのだろうかと探る。
「え…?」
 ふわり、風に揺らぐ明るい栗色の髪。いつの間にか雲の晴れた空から差し込む日の光に、金にきらめいて…
「かっ…え、ちゃ…」
 がばっと、勢い良く起き上がったもののさっと頭を下げた。不思議な感覚が、矢部の全神経を麻痺させる。ばくばくと、破けそうな勢いで心臓がなるのを抑えようと、そっと胸の辺りの掌で覆った。
「かえちゃん…」
 楓はフェンスに近づくと、両手に抱えた何かを足元の片隅にそっと置いて大きく深呼吸をしていた。両手を広げて、静かに大きく息を吸い込んで。まるでラジオ体操のようにゆっくりと息を吐いて。
 ああ、綺麗だな…胸を押さえながら矢部は思った。こんな風に、客観的に楓を見たのは久しぶりかもしれない。近くに居過ぎて気付かなかった。
「二十四…やったっけか」
 ぽつり、誰ともなしに呟く。ああ、そういえば山田とおない年やったかとぼんやり思い出す。細いひだスカートが風にゆらゆら。腰からはチェシャ猫の尻尾。
 袖なしのブラウスから伸びた細い腕は、色白というわけではないが滑らかなつや肌で、見ているとドキドキした。
 キィー…、キィー…、どこかから、軋むような音がする。ぼんやりとしたままで、矢部は音の方へと目を向けた。フェンスの、ずーっと端の方。ぼんやりとしていた矢部の目に、それが映った。
「あっ…」
 コンクリートの壁部分に固定されていなければならないはずの、フェンスの端がそこに揺れていた。嫌な予感と共に視線を楓に戻すと、案の定。
 楓の手は、フェンスに置かれている。今ならまだいい、けれど、もし…
「もしなんて…あってたまるかっ」
 楓がもし、フェンスに体重をかけたら。頭によぎった瞬間、矢部は駆け出していた。
「あ、晴れてきたぁ」
 楓は楓で、何も知らずに当然のように、フェンスに体重をかける。ギィー…と、嫌な音が聞こえて。
「あ、れ?」
 自分を支えるはずのフェンスが、不安定に触れる。
「え?あっ、う…わ」
 状況が飲み込めないまま、ぐらりとバランスが崩れる。
 危ないっ、落ちる?!慌てて、支える程度に触れていたフェンスを握り締めるが、そこを主柱に楓の体はくるりと外側へと回ってしまった。
「ひゃわぁっ?!」
 あ…視界の隅に大きな掌。けれど、落ちる!と思った瞬間に目は堅く閉じられた。
「だぁーっと!!」
 声と、自分を引き寄せる力の篭った腕。それから、懐かしい匂いに、楓はその腕の中で固まった。


 つづく


あぁー…、あーぁ。
どうして思うように書けないのか。ここはときめきシーンなのに(笑)
そしていつも災難に遭う楓。奈緒子以上にトラブルメーカー?
否、凶運とでも言うべきか。
凶運なら奈緒子も負けてないか(笑)

2006年7月10日

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